10日目・「Rubber Human」

b4:RH

by なすきー




 無限に広がる赤い大地と、漆黒の空。


 冷え切り、風の音も無い大地に、たった一つの音がしていた。
 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ──
 規則正しい音と共に、赤い土に足跡が刻まれていく。


 目の前を、二十歳にも満たないような少女が歩いている。所々が擦り切れて穴の開いた麻の貫頭衣をまとい、その粗末な身なりのわりに、頭の左右に纏められた黒い髪の間から見えるうなじは美しい肌色をしていた。シミや、毛穴の1つも見当たらない――まるで、人ならざるモノのように。


 私は、ゆっくりと少女、いや、ソレとの距離を詰めていく。


 しかし、気付かれる様子はない。それも当然だ。私は足音を抑え、足を降ろす間隔を完全にソレと合わせている。あたかも、この場を歩いているのがたった一人であるかのように足音は鳴っていた。


 距離が縮まる。三メートル。二メートル。私はゆっくりと、音を立てずにシャベルを振り上げる。一メートル。
 そこで、初めて足音以外の音が鳴る――ズグッ、と、シャベルの先端が少女のうなじに深く突き刺さる音。


 少女、のように見えたモノがゆっくりと前に傾き、倒れる。赤い土埃が、あたかも血しぶきのように舞った。
 されど、少女のようなモノからは一滴の血も出てはいない。


 代わりに、裂けた人工皮膚の隙間から、黒地に黄色い斑点のある電磁筋肉と、切断された電気コードが覗いていた。


***


 夜が明けると、日が強く照り、冷えた夜は灼熱の世界に戻る。赤い土は燃えるように輝き、地平線の方で陽炎がゆらめく。


 私は、昨夜入手した「遺体」を麻袋に突っ込み、引き摺りながらある集落を歩いていた。


 岩を切り出し、積み重ねて形にしただけの家が並んでいる。出入り口には、ラクダか何かの皮が垂らされているのが大半だ。この集落では、ドア程度に木材や鉄を使うような贅沢をする奴はいない。


 まばらな通行人とすれ違いながら、目的の建物に辿り着く。ほかのボロ小屋と比べれば大きく、外観もいくらか形が整っている、というような建物。


 そこに入ってすぐ、正面のカウンターに「遺体」の入った麻布を提出する。詳細な要件を告げないうちに、カウンターに立っていた男は麻布を受け取り、奥に引っ込んでいった。


 周囲には、数人が岩に座って手持ち無沙汰にしていた。私のように、持ち込んだものの査定を待っている奴も居れば、酒を飲んでいる奴も居る。しばらくは此方の様子をジロジロと窺う者も居たが、やがて興味を無くしたのか、また虚空に視線を戻した。


 ここは、「遺体」と呼ばれる機能停止したアンドロイドを始め、ロボットや電子機器の部品類を買い取る場所だ。


 なぜそんな場所が必要かと言えば、この世界にはそれらを生産する設備が無いからだ。金属はおろか食物も不足する死の大地で、機械類は極めて貴重である。


 それらが何処から供給されるかというと……この町の南の方角には青い角錐状の、「青い城」と呼ばれる建築物がある。その中では、人間が快適に暮らしているらしく、そこのゴミが何処からか排出され、この外の世界に入ってくる。


 そしてこの町自体も、あの青い城から締め出された人間が集まってできていた。


「よお、誰かと思えばゴム人間じゃないか」


 そう呼ばれて、振り返れば、無精ひげを生やした若い男がいた。軽薄そうな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。……ゴム人間は私の渾名だ。


「今日も収穫があったとは、羨ましい限りだねえ。やっぱり、"同族"には位置が分かったりするもんなのかい?」
「そんな機能、私には無い……昨日は青い城近くまで探しに行った」
「へえ、城の近くまでぇ?」


 そう言って、彼はわざとらしく笑みを浮かべ、肩を竦めてみせた。しかし、相変わらず目は動かない。


「よくそれで無事に帰ってきたな。アレに近づいた奴は、大抵帰ってこないってのによ」
「……適切な距離がある」
「へえ、ぜひとも教えて欲しいもんだね」


 ニヤニヤと、こちらを値踏みするような視線。青い城の外にはじき出された人間で、性格の良い奴はいない。この男が遠慮を知らないように。


「無償で、とはいかない」
「なんでい、ケチだな……最近は自治会の連中が厄介で、仕事もままならねえんだ。ちょっとぐらい助け合ったっていいだろ?」
「話にならない。……自治会というと、アンドロイド同士の自主防衛組織か。たかだが数名の集まりと聞いたが。近頃は規模が拡大しているのか?」
「まあな。お前さんも気を付けろよ、手前が護られる側じゃないのは分かってんだろ?」
「……言うまでもない」


 話している内に、持ち込んだ「遺体」の査定が終わったようだ。銅貨の詰まった袋を受け取り、この場を立ち去ろうとする。


「じゃあな。ゴム」


 応えてやる義理は無い。私は無言でその場を後にした。
 しばらく歩いて、自分の手のひらに視線を落とす。昨日この手で始末した女性型アンドロイドと同じ、生気の感じられないラバー素材の――ゴムの肌。


 アンドロイドを殺して生きているアンドロイドが、私だ。


***


 ザッ、ザッ、――


 使い慣れたシャベルと年季の入った麻袋を手に、広大な大地を、独り、歩く。たまに吹くそよ風を除けば、一切の音が聞こえない世界。空を仰げば、いくつもの線が走り、交差している。それは「天蓋」と呼ばれる空。その根元まで行った者が居ないため、憶測でしかないが、透明な板で空が覆われているように見えるためにその名がついた。


 どれだけ餓え、渇こうとも、傷つき、孤独になっても、世界から逃れることはできない。「天蓋」はその閉塞感を否応なしに感じさせる。


 死ねば、あの天蓋の向こう側に行けるのだろうか。人間はよくそんなことを話している。来世には、もっとマシな世界に生まれたい。もっとマシな人間に生まれたい――


 めでたいことだ。アンドロイドには、そんな幻想も持てはしない。
 売却を終えた後、私は遠く、青い城の東方――先ほど居た集落から見れば南東の方角にある集落に向かっていた。


 青い城の周囲にはいくつか同様の集落があるが、どれも取り立てて面白い名前が付けられているわけではない。私が拠点としているのは"北"、今向かっている所は"東"と簡単に呼ばれている。


 このところ、「遺体」の獲得が困難になってきている。というのも、あの癪に障る男の言っていた自治会の存在があるからだ。北は青い城との距離が最も短く、アンドロイドも人間も集まりやすい。だから、これまで獲物には困らなかったが――近頃はそうした形でアンドロイドが自衛のために団結し、簡単には手を出せないようになってきている。


 そこで、集落の規模は比較的小さいが、厄介な奴らの居ない東で活動することを思い立ったのだった。


 かれこれ三時間は歩き――やっと、地平線近くに家が立ち並ぶのが見えた。


 東の集落には、北と比べて、木材でできた家が多い。これは青い城から排出されるゴミが、北は機械類、東は家具などの木製製品が多いことに起因する。それを知って集落間貿易に手を出そうとする奴は少なくないが、それも私の獲物になる。不幸にも、今日は出くわさなかったが。


 さて、どこから手をつけようか――夜を待ってもいいが、無為に時間を過ごすことになるのも考え物だ。しかし、騒ぎになるのも厄介である。


 集落の外れに、孤立している家は無いだろうか。そう思い、集落の外周を回っていると、十分に離れた場所に立つ家を見つけた。


 扉に耳を当て、中の様子を窺うと、人の声らしき音が聞こえる。もっとも、アンドロイドの殆どは人間の生体発声を模倣しているので参考にはならないが。


 携行していたシャベルを強く握りなおす。拳銃もあるが、弾が惜しい。なるべくコイツ一本で済ませたい。


 アンドロイドかどうか分からないが、人間なら殺してこの家を拠点として使えばいいか。そう思い、玄関のノブに手をかけ、そっと動かす――音は立たない。古い扉だ、身構えてはいたが、杞憂だったようだ。もう少し、音を消したまま接近できる。


 足音を立てないように、廊下を慎重に移動する。次第に声がよく聞こえるようになってきた。少年か、青年の声のように聞こえる。


「にゃー、にゃー」


 ……は?
 猫の、声? いや、猫の声じゃない。鳴きマネだ。……なんで鳴きマネ?


 わけがわからない。接近する度に、聞こえてくるのは明らかに猫の鳴きマネだった。


「にゃー、ごろごろ」


 ……え?


 鳴き真似にしても、ごろごろは無いだろう。それを口にしてどうする。
 屋内の、一つのドアの前に辿り着く。声はこの奥から聞こえている。……正直、何が居るのか解らない。しかし、害のあるものとは思い難い。


 悩んでも仕方ない。突入するか。
 決断すれば、最早迷いはない――ドアを勢いよく蹴破り、シャベルを構えて中を確認する。


 果たして、そこに居たのは人型のもの。白く、襟が大きく、顎のあたりを黒い羽毛が覆い隠している服を着て、頭に二本の真っ直ぐな角が生えた少年。それが、四つん這いになって、猫のように片手を丸めて挙げていた。滑稽なポーズに不釣り合いな無表情が目を引く。


 それはこちらと目が合うと、まばたきさえせず静止していたが、やがて、


「う……うにゃあああああああ!!!」


 大声で、そう叫んだのだった。
 無表情のまま。


***


 数分後、私はなぜか猫の少年に普通に応対されていた。
 不覚だ。殺すつもりでいたが、状況に呑まれてしまった。


「……さっきは、取り乱してごめん」
「いえ、こちらこそ、突然お邪魔してしまい……それに、ドアも蹴破ってしまってすみません。まさか、こんな場所に人が住んでいらっしゃるとは思わず……」


 人といっても、二本角のある時点でコイツはアンドロイドということに間違いない。


 しかし、「人が住んでいると思わなかった」、とは我ながら苦しい言い訳をしたものだ。まあ、いざとなれば相手は一人だ。問題は無い。


「ドアを直すのを手伝ってくれれば大丈夫。あの、僕はカプリって言います。あなたのお名前は?」
「製品番号はe0K-2-1515です。お好きにお呼びください」
「普段はなんて呼ばれてるの?」


 ゴム、と呼ばれているが、素性を話すつもりは無い。


「それが……実は、数日前に、気付くと何もない大地の真ん中にいて。それ以前の記憶が無いんです──たぶん、デリートされているのだと思います」


 自己紹介の嘘は吐きなれていた。不安げな表情を作り、言葉が纏まらないふりをする。現状を把握しきれてない設定は、相手の同情か、油断を誘うため。


「あの、ここはいったい何処なのでしょうか? 遠くには集落があるようですが」
「あーっと、えっと、その……」


 目の前の少年――カプリといったか。彼はいかにも悩んでいますというように、頭を抱えた。にも拘らず、表情は動かない。何故だろうか。


「ここは……遠くにある人間の居住施設の、外側なんだ。たぶん……あなたも、そこから出てきたんじゃないかな」
「それは……廃棄されたのでしょうか? もしかしてカプリさんも?」
「うん。僕は、そこに居た時のメモリーが残ってるんだけど」


 珍しい。記憶を消されずに廃棄されるアンドロイドは少ない。内部の機密保全のためか、消去されているのがふつうだ。


「僕、見ての通り、表情筋が故障して動かなくてさ……そのせいで棄てられちゃったみたい」


 寂しげな声でカプリは言った。無表情なのはそういうわけか。
 しかし、その程度の故障で棄てられるとは。いつも思うが、内部の奴らは下らないことでモノをゴミにする。青い城から出る大抵の廃棄物は、修理すればちゃんと使えるのが殆どだ。そのお陰で、私たちは外側でも生きられるのだが。


「それはともかく。じゃあ、あなたのこと、なんて呼ぼうかな」


 こんどは明るい声でそう言った。腕を組んで、首を傾げて考え出すと、しばらくして、


「あ、ユリなんてどう?」
「……ユリ?」


 メモリーにはインプットされていない。何のことだろうか。


「花の名前だよ、知らない? まあ、一口にユリっていっても色々あるんだけどね。僕が特に好きなのはカイウユリだけど」


 花か。城の内部には、そのようなものがあるらしい。


「それと私の名前にどんな関係が?」
「あー、その……な、なんとなく!」


 そう言ったカプリの頬は、少し赤くなっているような……気がした。肌の色彩変化の機能は生きているのか?
「でも、ここはつまらないなあ……花が育たないし。誰も居ないし」


 机に突っ伏して、くぐもった声でカプリは言った。


 それも当然だ。あの毒の湖があっては、まともな植物は育たない。いくつかの例外はあっても。


 それに、ここまで足を運んできてなんだが、わざわざあの湖を越えてまでここに来る者がいるだろうか……さすがに、一時間も歩いてまで来たのはやり過ぎだったかもしれない。


 しかし――思わぬ収穫が手に入った。故障はあるが、問題なく動作するアンドロイドに、大量の木材。運ぶ手間はあるが、これで当面の資金には困らない。


 そう思って、さて、いつコイツを始末しようかと考えていると、


「そうだ! ユリ、ここに住みなよ!」


 ……は?


 ちょっと待ってほしい。この少年は、見ず知らずのアンドロイドを家に泊めるつもりか? それどころか、一緒に住もうというのか? バカか?


「ユリ、帰るところ無いんでしょう?」


 ああ、確かにそういう設定だった。まずい。自分を責めたいところだが、身元不明の輩を家に入れる奴がいると想像できる人間がどこにいるだろうか。私は人間ではないが。


「いや、迷惑をかけてしまうでしょうし……」
「全然構わないって! それに、ドア直してもらわないといけないし!」


 それを突かれると痛い。それに、断る理由も無いのに断るのも不自然か。


「……そうですね。よろしくお願いします」


 かくして、私は押し切られてしまった。


***


 ドアを蹴破ったとき、色々な部品が飛び散ってしまったようだ。カプリと私は、とりあえずそれを探すことから始めることにした。


「あー、このクギ曲がっちゃってる……代えあったかなあ」
「クギくらいなら、叩けばある程度は誤魔化せるのでは?」
「そうかなあ……そういえば、金槌はあったかも」


 いつの間にか、殺す機会を窺うこともせず、ドア直しに従事し始めていた。こんな筈ではなかった。これはきっと、最初の出会いがおかしかったせいだ。


「……そういえば、なぜ猫のマネを」
「言わないで」


 即答したカプリを見ると、顔を背けていた。恥ずかしがっているのだろうか。


「あれは……その、話し相手が居なくて、寂しかったから……」


 両手の人差し指でツンツンしている。いちいち大げさな振る舞いをする奴だ。しかし、わざとらしくは見えない。話し相手ができたのが、そんなに嬉しいのだろうか。その相手はお前を殺す機会を窺っているというのに。


 そうこうしている内に、散乱していたドアの部品をあらかた集めた、のだが。


「……どう見ても、足りないね」
「そうですね……」


 どうやら、ドアを元通りにすることは不可能なようだった。


「そもそも、なんで蹴破って入ってきたのさ!」


 それは……まさか、こんな普通に話し合う状況に陥るとは思わなくて、蹴破ることのデメリットを考えられなかったからだが。この質問はまずい。都合のいい回答が用意できない。


「それに、なんで未だに敬語取れてないの!? タメで話してよ!」
「はぁ?」


 いきなり何を言い出すんだコイツは。しかしまずい、声に出してしまった。
「そう、そんな感じでいいよ! なんか距離感じて、怖いからさ。にしても、これじゃあドア直せないね。どうしようかなあ……」


 カプリは腕を組んで考え込みだした。コロコロ態度の変わる奴だ――こんなに純粋な奴を見たのは初めてだ。


「んー……もうしょうがないから、暖簾とかつくって誤魔化そうかなあ……」


 そう言ってからカプリは首をこちらに向けて、唐突に、


「あ、そうだ、ナスに水やってないや」


 と言った。


「……ナス? ナスがここに?」


 ナスとは、この荒廃した世界において、唯一生存できる特殊な植物である。


 もともとは普通の植物で、さらには乾燥に弱かったらしいが、なぜか品種改良が進められ、外側でも栽培されている。そのもちもちした食感は素晴らしく、主食として摂取している者もいるほどだ。


 ちなみに、アンドロイドに食事の必要は無いが、味覚は一応備えている。


「ナス、あるよ? ……妙に目がギラギラしてない?」
「気のせいかと。それよりナスは何処に?」
「こっちだけど……まだ熟れてないから、食べないでよ?」
「食べないよ」


 ……そんなこんなで、時間はいつの間にか過ぎていった。


***


「今日は楽しかったなあ」


 カプリは、ベッドの上でごろごろしていた。
 結局ナスは食べられなかったが、まあ、私も楽しかった。本来の目的を忘れるくらいには。


「ほんと、話し相手が居るっていいなあ……毎日ナスに独り言を言うの、惨めでさ」
「それは痛いぞ」
「ふん、他人事だと思って。何か月も、一人ぼっちで過ごしてみればいいよ。ナスが可愛く思えてくるよ――ああ、ユリはもうそう思ってそうだけどね」


 なんのことを言っているのだろうか。


「そうそう、ナスって花が咲かないんだよね」
「ああ……品種改良の結果、花を咲かさずに実を残すようになったのだったか。全く、よく分からない植物だ」
「んー、本当は花が見えないくらいに小さくなってるだけ、らしいけど……不思議だよね」
「そうだな……花か。見られなくて残念だな」


 花にも料理することができるものがあるらしい。


「僕は、まあ、見れなくてもいいかな」
 

 どうしてだろうか――不思議に思ってカプリの顔を見ると、目が合った。


「ナスの花、もう咲いてるから」


 どういう意味で言ったのか、私には分からなかった。けれど、一瞬だけ、無表情なのに笑っていたような、そんな気がした。


 カプリは、すぐに顔を背けてしまったけど。


「ねえ」
「なに」
「一緒に寝よ」


 カプリが言った。相変わらず意味が分からなかった。


***


 アンドロイドは、睡眠を必要とする。
 これは、アンドロイドが人間を模倣して造られていることに起因する。
 例えば、ロボットは、アンドロイドのように人工知能を搭載していても、感情なんて余計なモノは備えてないし、身体も人工筋肉ではなくモーターで動かすことが多い。もちろん、充電は必要であっても、睡眠を必要とするわけが無い。


 対してアンドロイドは、構造から人間に似せることを目的として造られていて、感情も再現している。どうしてそんな存在を、人間が造ろうとしたのかは分からない。ただ、アンドロイドも夜が来れば眠くなるのが節理というわけだ。


 それはさておき、私は今、カプリに背中から抱きつかれて一緒に寝ていた。この家に泊まることについて、断る理由を持てない私は仕方なしにこの家で一晩を過ごすことを覚悟していた。けれど、まさか同じベッドで、しかも一緒に寝ようと言い出されるなんて、誰が予想できるだろうか。それは遠慮したい、床で寝るから気にしないでくれ、と言ったものの、ドアを壊したことを引き合いに出されれば断る由も無かった。


 カプリは、静かに寝ている。背中から回された腕は、細く、私と同じ合成ゴムで覆われていた。首筋には、カプリの寝息が涼やかに当たっている。


 私は、まだ眠っていない。というよりも、眠りを必要としないのだ。眠気なんて厄介な代物は、とっくの昔に自分を改造して消去した。


 はっきりした頭で、今日の出来事を思い起こす。アンドロイドを探すために、わざわざ一時間以上も西に向かって歩き。やっと見つけた小屋の中で、奇妙なアンドロイドに出会い。なぜか、一緒のベッドで寝ている。こんなこともあるものなのか、と柄にもなく感傷に浸っていた。


 さて、睡眠に入ったアンドロイドは、めったなことでは起きない。カプリに気付かれないように腕の中からそっと抜け出す。次に、部屋の隅に置いてあったシャベルに手をかける。
 殺すなら――今だ。


***


 翌日、朝早くに、私はいつものように大きな、重い麻袋を引き摺って北の集落に戻って来ていた。


 買い取り所に入ると、そこにはいつもの顔がいた。


「ようよう、ゴムじゃねえか。随分と早いな。遠出していいもんは見つかったかよ?」


 こんな時間に酒を飲み始めている男に早いとは言われたくない。ソイツは私の背後の麻袋に遠慮なく視線を寄こしている。


「……打ち捨てられた小屋を見つけた。この中身はそれに使われていた木材だ」
「そうかよ。どこに行ったんだ?」


 誰が言うか、と思って無視する。案の定、その男は肩をすくめ、つまらなそうに溜息を吐いた。


「あーあ、なんでこうも美味しい話ってのは転がってないもんかねえ……お前さんのおこぼれにあずかろうとすりゃあ、だんまりときやがった。これも日ごろの行いかねえ」
「お前は勤勉なのにな。また随分と多くアンドロイドを殺したそうだが」
「おおっと、こいつは耳が早いな。そうさ、昨日はこの町の自治会の支部を襲撃してねえ、こっちも何人か死んだが、まあ一人の取分が増えたってもんさ。これであちらさんも思い知っただろうよ」


 高揚しているのだろう、昨日の成果を早口で言う。美味しい話が無いと数秒前に言ったことを早くも忘れているようだ。


「いやしかし、遠出といえば、東の方にも行ってみるかねえ……」


 そのセリフに――少し不安を覚えたような気がした。コイツらは平気でアンドロイドを殺す。ふと、そのことが頭を過った。自分も、他人のことは言えないのに。


「そうそう、お前さん、大丈夫なのか」
「大丈夫、とは?」
「お前が『遺体』の収穫無しにここに来るなんざ、何年振りだと思ってんだ。邪魔でもあったのか?」
「そうか。そういえば、そうかもしれない」


 私は収穫が無いことについてそう答えたが、奴は邪魔の有無についてそう答えたと思ったようで、首を傾げていた。


 その後、麻袋の中の壊れたドアをカウンターに提出しながら、こんなことを考えていた。


 アンドロイドは機械人形にすぎない。


 自分に言い聞かせるように、何度も。


***


 売却を済ませた後、私は自分の塒に帰ってきていた。
 赤い土がむき出しの床の上に、いつも使う麻袋を敷いて、その上に寝転がる。


 部屋の隅には土埃が溜まり、壁には穴が開き、そこから漏れた光が塵の満ちる室内に一筋の光条をつくっている。


 集落にある他の住処と比べても大差はない。地下に、これまで貯めてきた金が隠されている以外は。


 初めは、生きるためだった。地中から採取できるエネルギーにも、太陽光から吸収できるエネルギーにも限りがあるし、この死の大地では、高性能なアンドロイドといえどメンテナンスを必要とするときもある。それは当然無料では受けられない。


 だから、アンドロイドを殺し始めた。最も効率の良い稼ぎ方だった。
 次第に、さらに効率よく殺す方法を求めだした。道具を揃え、自分の体を改造する。最初の頃は獲物に反撃されて痛い目を見ることもあったが、それも無くなっていった。


 殺すこと自体が目的になったのはいつからだっただろうか。徒に「遺体」と貨幣だけを積み上げていく日々。何の変化も無い日々の中、それが唯一の慰撫になった。


 だのに、なぜ、彼は殺せなかったのか。理由はある。アンドロイドの機体は長距離の携行に適さない。純粋に重いし、表面を傷つけやすい。加えて、木材の方が、重量に対する価値が高い。けれど、どれも言い訳に過ぎないような気がする。


 こんな下らない感傷に浸ってしまう原因は解っている。改造しようにも、改造できないアンドロイドの本質的な機能。悩みや葛藤など、抱いたのはいつぶりのことだろうか。


 いっそのこと、ロボットになりたい。


 感情のない、ロボットになりたかった。


 ふと気付くと、蚊が、宙を飛んでいる――それは、私の頬にとまった。


 無意味なことだ。ゴムの肌に、血は通っていない。


 叩き潰すと、誰かの血が指先に付着していた。


***


 歩きなれた赤い大地を、ただ歩いていく。昼も終わりに差し掛かった頃、私は再び東に向かっていた。沈みかけた西日の熱を背中に受け、目の前には、赤い土に私の細長い影が伸びていた。


 三時間以上にわたって歩き続け、彼の家に着いた。


 あれ以来、どうにもアンドロイドを殺する気になれない。今はまだ問題ないが、そのうち生活にも支障が出てくる。


 だから――決着をつけなければならない。


 そう思って、扉に手をかけようとした瞬間。


 扉がひとりでに開いた。カプリだ――


 そう思った次の瞬間、体に衝撃を感じた。抱きつかれていた。


「――どこ、行ってたの」


 同じカプリの声とは思えないほど、暗く、重い声だった。


「朝起きたら、居なくて。歩き回って探しても、居なくて。どれだけ遠くに行っちゃったんだろうと思って」


 声に、僅かな水気か混じる。冷たい泥が、手を回された背中から、背骨を滑りあがり、首筋を撫ぜるような錯覚がした。


「なんで、行っちゃったの」


 カプリが、少し体を離して、目を合わせてくる。全く感情を表さない瞳を。


「……迷惑だろうと」
「嘘」


 カプリがすぐに遮る。そうだ、嘘だ――この期に及んで、なぜ私は嘘を吐いたのだろう。


「嘘だって分かるよ。ドアを蹴破って入ってきたのも、先が砥いであるスコップを構えてたのも、よく考えればおかしいって分かるよ。……ねえ、どうしてここに来たの。言ってよ、本当の事」


 当たり前だ、分からない方がおかしい。自分でも、あの応対は杜撰だと思っていた。けれど、なぜ、カプリは何事も無いかのように私と会話していたのだろう。だって、私は、


「……お前を殺しに来た」
「いいよ、殺しても」


 カプリは、平坦な声で言った。


「だれも居ない所に、初めて誰かが来て、本当に嬉しかったんだ。最初は、怖いと思ったこともあったけど。話して、いろいろするうちに、そんなに悪いヒトじゃないって分かった。でも、気付いたら居なくなってて――本当に怖かった。また、元に戻るんじゃないかって」


 無機質だった声が、次第にか細さを増してくる。


「その時、気付いたんだよ。僕の世界には君しか居なかったんだって。もう、君の居ない世界に価値なんてない。だから、居なくなるくらいなら、殺していいよ――その方がいい」


 カプリが、少しこちらに体重をかけてくる。抵抗する間もなく、私は土の上に押し倒された。カプリは、私の胸の上に蹲る。子猫のように。


「怖くないように、抱き締めながら殺してほしいな」
「……やめてくれ」
「どうして? 殺してくれるんでしょう。あのつまらない日々が君の手で終わるなら、それもそれでいいなって思えるよ」


 目の前の少年が、今にも掻き消えそうに見えて、思わず両手で抱き締めた。カプリの顔は、肩の上に来て見えなかった。


「もう……やめてくれ。私が悪かった。そうだ、私は悪人だ。無数のアンドロイドの屍の上に生きている。けれど、もう、苦痛だ……殺したくない」
「いいよ、殺さなくても」


 耳元でカプリがささやき、冷たい息が、ふうっと、耳にかかる。一瞬、混乱した。さっきは殺せと言ったのに。


「ユリの好きなようにすればいい。ユリがどんなに悪人だって――僕は赦すよ」
「……私に、そんな資格は」
「無かったら、どうするの? もう殺せないんだよね? どうやって生きていくの?」


 そうだ。それをしないとしたら、もう私の知る生きていく術は無い。


「……死で、償う」
「そんなの自己満足だよ」


 それも分かっている。今更、自分が死んで何になるというのか。けれど、だったら、私はいったいどうすればいい?


「同じ自己満足なら――いっしょに生きようよ。ナスはあるし、実は保存食品もいくつかあるんだよ。昨日のような日々を永遠に繰り返そう。世界の全てが君を恨んでも、あらゆる過去が君を縛っても。僕がユリのそばにいる」


 それは、あまりに甘美な誘いだった。


「悪人だっていいじゃないか。悪いところが無い人なんて居ないよ――僕だって今、君にいじわるを言ってる」


 そして、禁忌でもある。あらゆる過去に蓋をして、二人で平穏を描く未来。


「でも――いいでしょ?」


 それでも、断る理由は無かった。
 そっと頷く。一瞬、カプリの口の端が、くっ、とほんの少し持ち上がったように見えたのは、私の気のせいだったのだろうか。


***


 夜になった。私とカプリは、昨日と同じように一緒に寝ていた。今度は、向かい合わせに抱き合って。


 眠くはならないが、これまでの精神的な疲労が倦怠感となって私を包んでいた。気怠い体を、カプリに半分預けるのが心地いい。


 穏やかな寝息を聞きながら、これからの日々を想像する。あるいはそれは、夢なのかもしれない。


 誰にも邪魔されない赤い大地で、密やかに暮らす私とカプリ。それだけあれば、何も要らない。そして、悪人という本当の姿を隠し持っていても、カプリだけは赦してくれる。


 私の左腕を枕にして、カプリが寝ている。その黒髪を、右手でそっと撫でる。頭に生えた角に触る。つるつるして、触り心地が良い。


「んん……ユリ?」


 カプリが目を重たげに開く。


「ごめん、起こした?」
「ううん、いいよ……ねぇ、もうちょっと撫でてて」


 ご希望の通り、するすると髪を梳き、掻き上げる。カプリは心地よさそうに目を閉じた。表情を持たない顔が、人口の肌が、白磁のように美しく、夜の闇にぽおっと浮き上がっている。


 ……もっと、深く触れたい。


「カプリ……カプリ?」


 けれど、カプリは再び眠りに落ちてしまったらしい……それが少しだけ気に入らなかった。だから、ほんの悪戯心で、瞼にそっとキスをする。


 カプリがほんの少しにやけているような気がしたのは、やっぱり私の勘違いかもしれない。


 けれど……このまま。満たされたまま、眠りに落ちれたら。


***


 屋外に誰かがいる気配がする。
 まだ遠くにいるが、数人はいるようだ。


 単に通りすがっただけか、と思ったが、暫くするとこちらに接近し始めた。厄介事になりそうだ。


 そっとカプリの腕を抜け出す。名残惜しいが、仕方がない。


 様子を窺う――接近してはいるが、速くはなく、遅すぎもしない。気配を隠す様子もない。どういうことだろうか? 少なくとも、真っ直ぐ玄関を目指しているようだ。


 奇襲が無いのであれば、玄関で待ち伏せるのがいいだろう。カプリを起こさないように、ショベルを持って移動する。


 そして、奴らは家の前に来ると、ノックをした。 


 コン、コン。


 その瞬間、私は迷わず玄関を蹴破り、向こうに居た者ごと吹き飛ばした。


「な、何事だ!?」


 一、二、……今飛ばしたのも含めて五人。勝てない人数ではない。


「こっちのセリフだ。何者だ、名を名乗れ」
「夜分に申し訳ない、我々は……」


 リーダーらしき男――どうもアンドロイドのように見える――が、動じずにそう言いだした所で、


「そいつ、"同胞殺し"じゃないか?」


 集団の一人がそう言った途端、場の時間が止まった。同胞殺し――私の、もう一つの呼び名だ。残した足跡は、すぐに消えるものでは無い。


 すぐに、集団が殺気立ち始める。いまにも飛びかからんが如くに。どうも、戦闘は避けられないらしい。


 カプリは、玄関の壊れた音で事態に気付けただろうか。


 ふっ飛ばした奴は倒れたままだ。残るは四人、さて、どう対処すべきか。


「……お前ら、まずは落ち着け。相手は幾人ものアンドロイドを葬ってきた油断ならない相手だ。全員で一斉にかかるぞ」


 なるほど、感情に呑まれそうになっていた集団を落ち着かせるにはいい選択だろう。けれど、次にどう来るのかが分かってしまえば――


 リーダーを除く三人が一斉に襲い掛かってくる。背後には扉、三方を囲まれ、地上に隙は無い。けれど、攻撃の当たるその直前に――私は跳んだ。


 三人は突然の事態に対応しきれず、バランスを崩す。ここで危険なのは遠くに待機するリーダーだ。跳び上がりながら隠しナイフを投擲する。難無く弾かれたが、空中に浮いている隙を相殺することはできた。


 そして、落下エネルギーを利用して一人のうなじにショベルを突き刺す――着地した後、すぐさまもう一人のうなじを貫く。これであと一人。そして残った一人を掻き寄せ、人質にする。


「――あっけないな。もう少し骨が折れるかと思ったが、機体改造もしていないとは」


 アンドロイドは、人間を模倣するというその製作目的上、人間以上の身体能力は持ち合わせていないことが多い。思考速度についてもそうだ。しかし私は、自分の体を改造することでそのデメリットを消していた。


 一瞬で部下を制圧され、リーダーは苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


「さて、要件を訊こうか?自治会のお方」
「……先日、幾名かの狩人が東に拠点を移したという報を受けた。その調査のために来た」
 

 そうか、もう噂になっていたか。しかし不可解な点がある。


「なぜ、この外れまで来た?」
「それは――」


 突然、家の中から悲鳴が聴こえた。カプリだ。


 抱えていた人質をリーダーの方に放り投げる。念のため、首筋を切り裂いてトドメを差しておく。急いで家の中に入ると、果たして、寝室の中にはあの軽薄な男がいた。


「おやおや、奇遇だねえ、ゴム。もしかしてコイツ、お前さんの獲物だったかい?」


 カプリは首筋にナイフを突き付けられていた。


「……離せ」
「まあ、そう怒ることもねえじゃねえか。確かに見つけたのはお前が先だったかもしれんが、最初に手を付けたのは俺だぜ? まあ、自治会の奴らを引き付けてくれたことには感謝してるし、二人で収穫を分け合おうじゃないか」


 シャベルを握る手に力が籠る。


「おいおい、そこまで怒るこたあないだろ? いつも儲けてんだ、ちょっとぐらい分けてくれたっていいじゃないか」
「……そういうことじゃない。カプリを殺させるわけにはいかない。離せ」


 そういうと、ソイツは一瞬わけがわからないといったように肩を竦め、それからこう言った。


「マジかよ。お前、分かってんのか? コイツはアンドロイドなんだぞ? 今まで散々殺しておいて、今更どういう風の吹き回しだよ」


 それは……そうだ。どれだけ悔い改めようと、誰に赦されようと、人は足跡を消すことは出来ない。今更、やり直そうだなんて虫がよすぎる。


「気でも狂ったんじゃないのか? それとも何か、そのことを黙ってコイツと付き合ってたのかよ。相変わらずあくどいことするねえ」


 言い返すこともできない。所詮、自分の本当の姿は酷く穢れている。


「違う」


 その時、唐突に、カプリが言葉を発した。


「ユリは、悪い人じゃないよ。本当に悪い人なら、僕なんてとっくに殺されてる。本当は優しいんだよ。無表情の僕を気持ち悪がらずに接してくれた。ドアを直すのも、一緒に寝るのも、断らないでくれた。実は、ナスが大好きな食いしん坊で。寝てるときに、そっと髪を撫でたり、瞼にキスしてくれたりするんだよ。だから、本当は悪い人なんかじゃない。そうじゃなかったら――好きにもならない」


 その言葉は、私の胸を酷く傷つけた。嬉しくて苦しい。そして、嬉しいけれど、自分はそんな賞賛に値するようなアンドロイドではない。打算があった。殺意もあった。そして――


「嗤わせるねえ、おい」


 男は、ゲラゲラと下品に笑う。


「ゴム、暫く遠くに行ってると思ったら、随分面白いことになってるじゃねえか。ええ? 自分のことはそっちのけでこんな純粋な子をひっかけてよお。いやでも、二人ともアンドロイドなんだろ? 人造人間の癖に、なぁに色づいてんだか。死ぬほど面白れえや」


 耳障りな声で、男は笑い続けた。
 私は、本当の私は、何者なんだろう。数多くのアンドロイドを殺した悪人か、それとも……


「そんなにアンドロイドが感情豊かだったとは知らなかったぜ……じゃあちょっと試してみてもいいか? そんなに好きだってんなら、喪えばさぞかし哀しむんだろうなぁ、おい――」


 男が、ナイフを振り上げる。本当はもっと速かったのかもしれないが、私にはとてもゆっくりと動いているように見えた。


 そして気が付くと、身体が動き、隠し持っていた拳銃を、奴に向かって撃っていた。


 カプリがびくっと体を縮こませる。男はゆっくりと傾ぎ、仰向けに倒れた。脳天を貫かれ、即死だった。


 しばらくは私も茫然としていたが、やがて正気になり。カプリに駆け寄った。


「大丈夫だったか、カプリ?」
「うん……急に起こされて、カプリじゃなくてびっくりしたけど。今度はすぐに来てくれたね」


 良かった。一先ずカプリに外傷は――


 その時、再び銃声が鳴った。
 首筋に衝撃を感じる――急所に近い。


 咄嗟に振り向くと、そこには先ほど見逃した自治会のリーダー格のアンドロイドがいた。これ以上はマズい。振り向きざまに、奴の喉元目掛け銃弾を放つ――銃弾は命中し、喉を貫通して後ろの壁に突き刺さった。


「……漁夫の利を狙おうとしたが。最後に油断したか」


 ソイツは、そういって膝から崩れ落ちた。そして私も、倒れ、期せずしてカプリの膝に頭が乗る形になった。
 しくじった。油断していなければ、こんなことには……


「ユリ!? ユリ、大丈夫?」
「ああ……正直、良い状況ではない」


 そもそもアンドロイドの首が弱点なのは、指令系統の脳と、活動のためのエネルギーを保存するバッテリーを繋ぐ回路が集中しているからだ。身体を動かすことができなくなり、脳の活動のための電力の供給も途絶える。それは死を意味する。


 幸いにして、本当の急所は微かに外したため、あと少しは活動できるだろうが――最早時間の問題だろう。


「ちょっと、ねえ、ど、どうしたらいいの!?」


 カプリが焦った声を出す――そういえば、無表情でも声だけは表情豊かだったな。


「すぐに修復することは不可能だ。北の修理士に依頼すればあるいは、いや、難しいだろうな……行くな、君の安全が保障されない」


 アンドロイドで生活している人間だ。きっと彼らも、カプリを見れば収入源としか思わないだろう。


「でも、でも……! こんなのでお別れなんてないよ、せっかく、せっかく……!」


「ああ――私は結局、悪いアンドロイドだったよ。最期に、君を悲しませた……」


 やはり、今更どうしようも無かったのだろう。散々悪事を働いてきたツケが、今になって回ってきた。都合のいいように運ぶものではない。


 後悔ばかりが浮かんでくる。あの時カプリから離れるべきではなかった。あるいは、最初にカプリの家に来た時から、ずっとここで暮らすと決めておけば良かった。そもそも、同族を殺すような生き方をしなければ。ああ、いっそのこと、私がアンドロイドでなければ。いや、この世界に存在すること自体が――なんて不運だったのだろう。


「ねぇ、ユリ、ユリ!」


 ユリは、涙を流していた。顔は動かなくとも、涙は出たのか……最期に見る顔が泣き顔であって欲しくはない。そう言おうとしたが、既に口は動かなかった。


 次第にカプリの声が遠のいていくような気がする。いや、実際に遠のいているのだろう。


 唯一、幸運があったとすれば、それはカプリに出会えたことだった。もしできるなら、来世でもカプリと一緒なら良い。


 そうか、来世か。単なる人間の戯言だと思っていたが、この期に及んで、そんな空想に頼りたくなる。


「……ユ……、……き……で……!」


 ああ、もし、もし、やり直せたら。
 もし、私が……



【あとがき】



 If I can be a robot...
 ということで、拙い文章にお付き合いくださりありがとうございました。
 あと、遅刻して申し訳ありません。次はもっと良い人間になります。
 はじめに、この小説、かなり登場人物――特にカプリとユリがよく分からない感じになってしまいました。この状況を説明するためには、私の解釈の変遷を辿らなければなりません。
 私は、Rubber Humanの歌詞とイラストを細部に至るまで考察することから始めました。荒廃した大地。そして、"buttery electric sheep"という単語から連想されるアンドロイドの存在。その仮定は、イラストの男の子と、袋の中身の肌が破けている部分から見える謎の文様から、確かなものだと思えました。
 そして、男の子をI、袋の中身をyouとして、ストーリーを組み立て始めたのです。しかし、その途中で興味深いツイートを拝見しました。その内容は、
「袋の中身がIで、男の子がyouである」
 というものです。なるほど、これはヤバい。
 なぜかといえば、"If I can be..."のフレーズが、死後の"転生"を示唆するものと受け取れるようになるのです。ゴムだから何にでもなれるんだー、というファンタジーな解釈は私の小説では無理です……
 さらに言えば、袋の中身を主役として立てることで、不明なそのビジュアルを誤魔化すことが可能になるという、私の都合とも合致します。ああ、布の中身確認してから書きたかった……
 そこで、私はストーリーを見直し、主役を布の中身=ユリ、そして男の子をカプリとすることに決めました。
 ただ、この解釈には問題もあります。"my day and night run on..."のように、Iが生存していると受け取れる歌詞も存在するのです。
 けれど私は、あまり考えないことにしました。私がやるべき事は、その時にはもうRubber Humanのバックストーリーを明確にすることではなく、自分の小説を一つのストーリーとして完成させる事になっていたのです。
 だから、"buttery electric sheep"を始め、一部の歌詞はこの小説で扱われません。けれど、その他のロボット、ナス……といったモチーフに、ストーリーを付けることで、皆さんがRubber Humanを聴いた時に、より楽しめるように工夫をこらしてみました。
 解釈は自由です。言い訳ではありませんが、むしろこのくらいにするほうが解釈の自由度を残せるのではないかと思います。
 それと、いくつかあるだろう疑問にお答えしておきます。
Q:ユリって男?女?
A:容姿を限定したくないので、一人称を私、口調を荒くし、男性とも女性ともとれなくはないように試みました。読み直してみると、かなり男らしい……カプリは恐らく男の子ですが、別に相手が男性であってもいいと思います。でも、やっぱり女の子なのかな……
Q:カプリの名前の由来は?
A:男の子の角がヤギっぽく見えたので、Capricornから取りました。適当です。おそらく、本来の名前は別に決まっていると思われます。
Q:ナス、何なの?
A:だってナス出したかったから、そりゃあ設定にも無理が出ますよ……
Q:うなじが弱点って巨人かよ
A:いや、アンドロイドの重要なパーツをなるべく傷つけず、かつ機能を停止させることができる急所はどこかと考えたら、やっぱり首筋かなあとなっただけです。他意はありません。
 さて、最後になりますが、Mili 1st mini album "Hue"、今日が発売日となりました! もう皆様の手元にはHueが届いた頃でしょうか。Rubber Humanを含む六曲を、わんさか楽しみましょう! それとライブも!

Hueリリース企画・文章作品

Hueリリース企画は Miliの1stミニアルバム『Hue』 の発売を記念した ファンアート企画(非公式)です。 開催期間:2017/5/15〜5/24 小説・歌詞訳・詩など 個性的な文章作品が集結しています♪ ファン渾身の作品、必見です! Twitter【@hue_release_】掲載の イラスト作品も要チェック!

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